農地開発事業にともなう、この地域の遺跡の発掘調査は、昭和57年にはじまり平成12年まで続きました。発掘調査によって確認された古墳は総数92基。
4世紀中ごろから7世紀後半にかけて、このあたりの豪族が造ったと考えられています。
寛弘寺の古墳はどれも小型であったため、ほとんどが古い時代に壊され姿を消しましたが、4・5・6・7号墳の4基の古墳は古墳公園として、現地で保存整備されています。この4基の古墳は、古くから「寛弘寺の七ツ墓」としてよく知られ、歴史的にも貴重なものです。寛弘寺古墳群の出土遺物は大阪府立近つ飛鳥博物館で保管・展示されています。この地に造られた古墳は、古墳時代中期(5世紀)に、5号墳→4号墳→6号墳の順に造られたと推定されています。日本の各地に造られた古墳のほとんどは、このように小型の古墳でした。小型の古墳は、目立たなく、多くは古い時代に壊されてしまいましたが、良好な保存状態で今日に残る古墳は極めて貴重な存在です。
【アクセス】近鉄長野線富田林駅より金剛バス「五軒家」下車
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