古墳・遺跡・街道
安閑天皇陵古墳

前方後円墳。墳丘長122m、後円部の径78m、前方部の幅100mで幅15mの濠を持っています。江戸時…
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応神天皇陵古墳

5世紀初頭のものといわれている墳丘全長425m、長さは仁徳陵についで全国第2位、体積では日本最大とい…
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雄略天皇陵古墳

雄略天皇は、5世紀後半の大王で、当時の中国王朝へ称号を求めるために遣いを送りました。倭の五王の一人、…
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白鳥陵古墳

大和朝廷全国統一の遠征で勝利の帰途、伊勢で没したヤマトタケルノミコトが白鳥となり羽を曳くように飛んだ…
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長尾街道

由緒ある歴史道で、飛鳥時代の7世紀頃に創られた難波・河内と飛鳥を結ぶ官道であると言われています。道明…
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大塚山古墳

わが国で5番目に大きな前方後円墳です。誰のお墓かは不明ですが、6世紀後半に築造されました。…
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王仁聖堂址

古墳時代・4世紀末期の応神天皇の時に百済(現朝鮮半島南部)から来て日本に漢字を伝えた渡来人・王仁が、…
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三ツ塚古墳

仲姫皇后陵(なかつひめこうごうりょう)古墳の南側に東西方向に並んだ3基の方墳の総称です。東から八島塚…
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東高野街道

京都の八幡市から、西高野街道・中高野街道と合流して紀州高野山に至る道で、平安時代以降、高野参りの人々…
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竹内街道

飛鳥時代の大和と難波を結ぶ日本最古の官道として、外国使臣や宮人はもちろん、一般大衆が往来してにぎわい…
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畑田家住宅

江戸期以来、郡戸地区の要職にあった畑田家。主屋、長屋門それに続く2棟の蔵、納屋、付属屋があり、旧家の…
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吉村家住宅

桃山時代の書院造様式を残す民家で日本初の重要文化財に指定され、江戸時代の庄屋屋敷の様子を伝えています…
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伝大江時親邸跡

鎌倉幕府を倒し、建武の中興に大きな役割を果たした楠木正成の軍学兵法の師であった大江時親は、平安時代の…
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山本家住宅

当家は、元庄屋をしており紀州公鷹狩の際には本陣になった家とも伝えられています。この住宅は、当地方の中…
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泥掛地蔵

お堂の中に納まった立派なお地蔵さん。その堂は、塀囲いされた内陣と、前と左右が吹き抜きの外陣からなる珍…
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岩屋【国史跡】

竹内街道の間道である岩屋越近くに位置する岩屋は、奈良時代に造られた大小2基の石窟から成る石窟寺院です…
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鹿谷寺跡【国史跡】

奈良時代に二上山山麓に造られた鹿谷寺跡は、凝灰岩の岩盤を掘り込んで作られた大陸風の石窟寺院です。
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聖徳太子御廟

推古天皇の摂政として、十七条憲法や冠位十二階の制定、遣隋使の派遣などの進んだ政治制度や文化を取り入れ…
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吉川家住宅(非公開)

江戸時代初期の建築で、屋根は入母屋造、ひさしと座敷は本瓦葺き、納戸は原形を留めて古来の農家の形態を詳…
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孝徳天皇陵(山田上ノ山古墳)

第36代天皇の陵墓で、直径32mの円墳です。小規模ながら、美しい御陵の代表として枕草子にも紹介されて…
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小野妹子墓

日本で初めて、中国へ遣隋使として数回派遣された小野妹子の墓と伝えられている塚です。…
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天野街道(あまの街道)

西高野街道と今熊地区で分岐し、天野山金剛寺へと向かう道は、天野街道と呼ばれています。
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二子塚古墳

方墳を2つつなげためずらしい形の古墳で、東西の方墳には、ほぼ同形同大の横穴式石室と家形石棺が納められ…
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推古天皇陵

日本最初の女帝、33代推古天皇の墓で、一辺の長さが60m、高さ11mの方墳。推古天皇の子、竹田皇子(…
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天野街道・西高野街道分岐の道標

高野山へと続く西高野街道(左)と、女人高野として知られる天野山高野山金剛寺(河内長野市)へと通じる天…
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敏達天皇陵

太子町につくられた最初の天皇陵。また太子町でただひとつの、前方後円墳(全長113m、2段造り)で、は…
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狭山藩陣屋跡

狭山藩陣屋は元和2年(1616年)第2代藩主の北条氏信の時、陣屋を狭山池の北東に構築し始めたのが始ま…
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薄田隼人正兼相の墓

元和元年(1615)、大坂夏の陣。徳川家康らの軍勢が攻める大坂城で、秀頼よりとその母、淀殿は自害し豊…
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水郡邸

幕末の攘夷(じょうい)派として知られる天誅(てんちゅう)組が、文久3年(1863年)に五條代官所を襲…
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源氏三代の墓

寛仁4年(1020)、河内国司に任ぜられた源頼信は、壺井に本邸を構えました。その子の頼義と孫の義家(…
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嶽山城址(龍泉寺城跡)

嶽山城址は南北朝時代、元弘2(1332)年、楠木正成によって築かれた城です。
「太平記…
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お亀石古墳・オガンジ池瓦窯・新堂廃寺跡

新堂廃寺は、出土した瓦などから飛鳥時代に創建されたと考えられています。その北西丘陵上にあるお亀石古墳…
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翠鳥園遺跡

およそ2万年前の石器や、それを作るときにできる石の破片が約2万点も見つかりました。二上山の周辺で採れ…
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旧杉山家住宅

農家型の土間と美麗な座敷をもつ寺内町で最古の町家です。明星派の歌人石上露子の生家としても知られていま…
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観音塚古墳

古墳は大きさが約12mの円墳か方墳で、高さ約2.5m。北及び西側には濠と考えられる凹地が見られます。…
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富田林じないまち

富田林寺内町は、兵火と一揆が絶え間なかった16世紀半ばの戦国時代、ここ南河内、石川の畔に生まれました…
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河内大塚山古墳

墳丘長335m、後円部の直径185m、前方部の幅230mで、幅35〜70mの濠を持っています。全国第…
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峯ヶ塚古墳

墳丘長96m、後円部の直径56m、前方部の幅75mの前方後円墳で、二重の濠を持っています。5世紀末〜…
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千早城跡

1333年に楠木正成が幕府の大軍を千早城に迎え、急峻な地形を利用するなど独特の戦法で100日間籠城し…
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大鳥塚古墳(おおとりづかこふん)

大鳥塚古墳は、墳丘の長さが110mの前方後円墳です。古市古墳群の中では中形で、前方部は南を向いていま…
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寛弘寺古墳公園

農地開発事業にともなう、この地域の遺跡の発掘調査は、昭和57年にはじまり平成12年まで続きました。発…
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平石城跡

赤坂城の支城のひとつで、府指定の史跡になっています。この地の豪族平岩茂直が元弘元年(1331年)楠木…
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允恭天皇陵(いんぎょうてんのうりょう)古墳

洪積段丘の国府台地のうえに前方部を北に向けて造られた墳丘長230m、前方部幅160m、後円部径140…
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持尾城跡

赤坂城の支城のひとつで、楠木正成と共に戦った平岩氏が平石城とともに築いた山城跡。平石城と相対して大和…
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史跡金山古墳公園

全国でも珍しい瓢形双円墳で、前方後円墳が衰退する古墳時代後期(6世紀末から7世紀初頭)の築造とされて…
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仲哀天皇陵(ちゅうあいてんのうりょう)古墳

墳丘長242mの前方後円墳で、全国で17番目、古市古墳群内では3番目の大きさです。宮内庁によって仲哀…
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古室山古墳(こむろやまこふん)

墳丘長150mでくびれ部には造出しをもち、東側から北側にかけては周濠跡がみられます。古市古墳群のなか…
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仲姫皇后陵(なかつひめこうごうりょう)古墳

墳丘が三段に築かれた前方後円墳で墳丘長は290mあります。全国で9番目、古市古墳群では2番目の大きさ…
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国府遺跡(こういせき)

大正時代からはじまる多くの調査で旧石器・縄文時代から中世に至るまでの一大複合遺跡であることが判明し、…
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津堂城山古墳

古市古墳群最北端の、墳丘長208mの前方後円墳。室町時代には三好氏の城が築かれました。現在は周濠部に…
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